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坂本龍馬の真実 ― なぜ幕末のヒーローは、風呂嫌いで明治を知らずに死んだのか ―

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目次

はじめに|伝説は死後30年経って作られた

「日本の夜明けぜよ」

この言葉とともに、颯爽と駆け抜けた幕末の革命児・坂本龍馬。薩長同盟を成立させ、大政奉還を実現させた英雄として、今も多くの日本人に愛されています。

しかし、驚くべき事実があります。龍馬は明治時代、ほとんど無名でした

教科書に載ることもなく、政府の要人として語られることもなく、彼の功績は歴史の闇に埋もれていたのです。では、なぜ今、龍馬はこれほど有名なのか?

答えは、「小説」が作った伝説だからです。

本記事では、大河ドラマでも描ききれなかった坂本龍馬の真実に迫ります。不潔で、逃亡者で、暗殺の真相も謎のまま――それでも、33年という短い人生で日本を変えた男の、生々しい姿を見ていきましょう。


第1章|命がけゆえの不潔さ ― 風呂に入れなかった革命家

爽やかなヒーロー像の裏側

坂本龍馬といえば、爽やかで清潔感のあるヒーローというイメージがあります。特に大河ドラマでは、颯爽とした姿で描かれることが多い。

しかし、史料が語る真実は正反対でした。

龍馬は、めちゃくちゃ風呂嫌いで不潔だったのです。

これは妻・お龍の証言に残っています。「龍馬さんは、お風呂にほとんど入りませんでした」――彼女はそう語っています。

なぜ風呂に入らなかったのか

当時の日本は、世界的に見ても清潔好きな国でした。江戸には銭湯が無数にあり、庶民も頻繁に入浴していたのです。

なのに、なぜ龍馬は風呂に入らなかったのか?

答えは、シンプルで痛烈です。常に命を狙われていたから

風呂に入っている間は、完全に無防備になります。刀も持てない、裸で、逃げることもできない。龍馬にとって入浴は、命を差し出すに等しい行為だったのです。

さらに、龍馬は全国を飛び回っていました。京都、大阪、長崎、江戸――移動ばかりで、ゆっくり風呂に浸かる時間もなかった。

臭くても愛された男

結果として、龍馬はかなり臭かったらしい。お龍も「匂いがすごかった」と証言しています。

しかし、お龍はそんな龍馬を深く愛していました。

「命がけで日本を変えようとしている人だから」

清潔さよりも、志の高さ。龍馬の魅力は、外見ではなく、その生き様にあったのです。

この不潔さは、龍馬が置かれた過酷な状況の証でもありました。日々命と向き合い、風呂にすら入れない――それが幕末を駆け抜けた革命家の現実だったのです。


第2章|日本初の新婚旅行は「逃亡」だった ― 寺田屋事件の真相

ロマンチックな伝説の裏側

坂本龍馬の逸話として有名なのが、「日本初の新婚旅行」です。

妻・お龍と共に鹿児島の霧島温泉を訪れ、温泉や観光を楽しんだというエピソード。日本の観光史においても重要な出来事として語られています。

しかし、この「新婚旅行」には、もう一つの顔がありました。

それは、**「逃亡」**です。

寺田屋で死にかけた夜

1866年1月、京都・伏見の寺田屋。

龍馬はこの旅館に滞在していましたが、深夜、幕府の役人たちが襲撃してきたのです。これが有名な**「寺田屋事件」**です。

お龍の機転で難を逃れたものの、龍馬は両手に重傷を負いました。右手の親指はほとんど使えなくなり、左手も深い傷を負った。

命は助かったが、京都にはもういられない。龍馬は完全に追い詰められていました。

薩摩が匿った傷だらけの革命家

そこで手を差し伸べたのが、薩摩藩(現在の鹿児島県)でした。

「しばらく鹿児島で療養してください」

龍馬はお龍と共に薩摩へ逃れ、傷を癒すために霧島温泉に滞在したのです。

つまり、これは「新婚旅行」というより、「逃亡と療養」。命からがら逃げ込んだ先が、たまたま温泉地だっただけなのです。

それでも人生を楽しんだ男

しかし、龍馬は怪我の痛みと追われる身でありながら、この滞在を心から楽しんでいました。

お龍への手紙にはこう書かれています。

「おもしろき国ぞ。景色よし、温泉よし、食事もよし」

命を狙われ、両手に重傷を負い、逃亡中――それでも龍馬は、人生を楽しむことを忘れませんでした。

このポジティブさ、この生命力こそが、坂本龍馬という人間の本質だったのかもしれません。


第3章|明治には無名だった ― 小説が作った「龍馬伝説」

消された功績

ここで、最も衝撃的な真実をお伝えします。

坂本龍馬は、明治時代にはほとんど無名でした

信じられないかもしれませんが、これは事実です。龍馬は1867年11月、京都の近江屋で暗殺されます。明治維新の直前、33歳の若さで命を落としました。

そして明治時代が始まった。

活躍したのは誰か?西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允、伊藤博文――彼らは明治政府の中心人物として歴史に名を刻みました。

しかし、龍馬は明治を見ることなく死んだ。だから、明治政府の中に龍馬の功績を語る人がいなかったのです。

裏方ゆえに忘れ去られた

龍馬の仕事は、すべて裏方でした。

薩長同盟の仲介も、大政奉還の提案も、表舞台に立つことはなかった。だから、明治時代の教科書には龍馬の名前はほとんど載っていませんでした。

功績を上げた者が評価されず、表に出た者だけが歴史に残る――これが歴史の残酷さです。

小説が蘇らせた英雄

では、なぜ今、龍馬はこれほど有名なのか?

それは、明治31年(1898年)に出版された**『汗血千里駒』**という小説のおかげです。

作家・坂崎紫瀾が書いたこの龍馬伝記小説が大ヒットし、龍馬の名前が全国に広まりました。さらに昭和に入り、司馬遼太郎の**『竜馬がゆく』**が超ベストセラーになり、龍馬ブームが起こったのです。

つまり、龍馬の人気は**「小説」が作った**のです。

もちろん、龍馬自身の功績は本物です。しかし、その功績が広く知られるようになったのは、死後30年以上経ってから。

歴史は、事実だけでは作られない。物語があって、初めて人々の心に残る――龍馬の存在は、そのことを教えてくれます。


第4章|実は剣の達人だった ― 免許皆伝の腕前と合理的思考

交渉家のイメージの裏に

坂本龍馬といえば、「交渉の天才」「ビジネスマン」というイメージが強い。剣で戦う姿は、あまり想像できないかもしれません。

しかし、龍馬は剣術の達人でした。

泣き虫から免許皆伝へ

龍馬は土佐藩(現在の高知県)の郷士――下級武士の家に生まれました。幼少期は泣き虫でいじめられっ子だったと伝えられています。

しかし、剣術を習い始めてから変わります。

19歳のとき江戸に出て、北辰一刀流の千葉定吉道場で修行。そして、なんと**「北辰一刀流免許皆伝」**を取得したのです。

免許皆伝とは、その流派の技をすべて習得した証。つまり、龍馬は正真正銘の剣術の達人だったわけです。

寺田屋事件でも、龍馬は両手に傷を負いながら戦いました。ピストルも使いましたが、基本は刀です。

剣より銃を選んだ合理主義者

しかし、龍馬が本当に愛用したのは、ピストルでした。

当時、ピストルは最新兵器。龍馬はいつも懐にピストルを忍ばせていたといいます。

「剣より銃の方が、遠くから敵を倒せる」

龍馬はこのように、常に合理的に考えていました。剣の達人でありながら、剣にこだわらない。新しい技術を積極的に取り入れる。

この柔軟さこそが、龍馬の強さでした。伝統に縛られず、常に最適解を求める――これが坂本龍馬という男の本質だったのです。


第5章|暗殺の真犯人は誰か ― 歴史上最大のミステリー

闇に消えた命

1867年11月15日、京都・近江屋。

龍馬と、共にいた中岡慎太郎が何者かに襲撃されました。龍馬は額から後頭部にかけて深い斬撃を受け、ほぼ即死。翌日、33歳の生涯を閉じました。

犯人は誰なのか?

実は、これが今でも歴史上最大のミステリーなのです。

複数の容疑者

当時、幕府は「犯人は新選組」と発表しました。しかし、新選組の隊士たちは関与を否定しています。

近年の研究では、京都見廻組という幕府の組織が犯人だという説が有力です。隊士・今井信郎が後に「自分が龍馬を斬った」と証言しているからです。

しかし、これも完全には証明されていません。

さらに、別の説も存在します。

  • 薩摩藩が龍馬を消した説
  • 土佐藩が関与した説
  • フリーメイソンが関与した説(陰謀論)

なぜこれほど容疑者が多いのか

なぜこんなに説が乱立しているのか?

それは、龍馬が多方面に影響力を持っていたからです。

幕府にとっては危険人物。しかし、薩摩や長州にとっても、龍馬は「使いづらい」存在でした。

なぜなら、龍馬は**「公平な日本」**を目指していたからです。薩長が権力を独占することも、龍馬は良しとしなかった。

だから、実は薩摩や長州も龍馬を消したかったのではないか――そんな説すらあるのです。

真実は闇の中

真相は、今も謎のまま。

しかし、この謎こそが、坂本龍馬をさらに魅力的な存在にしているのかもしれません。歴史は、すべてが明らかになるわけではない。闇があるからこそ、人々は想像し、語り継ぐのです。


第6章|手紙魔で恋愛上手 ― 龍馬の人間臭い一面

140通の手紙が語るもの

最後に、龍馬の可愛らしい一面を紹介しましょう。

実は龍馬、めちゃくちゃ手紙を書く人でした。現在、龍馬が書いた手紙は約140通残っています。当時としては、かなり多い数です。

しかも、龍馬の手紙は堅苦しくありません。カジュアルで親しみやすく、まるで現代人のような文章なのです。

姉への手紙

姉・乙女への手紙には、こんなことが書かれています。

「京都では毎日おいしいものを食べています。でもお金がないので困っています」

まるで現代の大学生のようですよね。幕末の志士とは思えない、人間臭い内容です。

お龍へのラブレター

そして、妻・お龍への手紙。これが、本当にラブレターなのです。

「おまはんは、ほんまにかわいい人じゃ」
「早く会いたいぜよ」

龍馬は、感情をストレートに表現する人でした。革命家でありながら、恋する男でもあった。

複雑な恋愛遍歴

実は、お龍以外にも女性関係があったという説があります。千葉道場の千葉さな子とは婚約していたとも言われています。

しかし、龍馬は最終的にお龍と結婚しました。

お龍は龍馬の死後、生涯龍馬を愛し続けます。明治時代、貧しい暮らしをしていた彼女は、それでも龍馬の思い出を大切にし、龍馬の話を人々に語り続けたのです。

お龍がいなければ、龍馬のエピソードの多くは失われていたかもしれません。

龍馬とお龍の愛――これもまた、龍馬伝説の重要な一部なのです。


おわりに|33年で日本を変えた男の、短くも濃い生涯

坂本龍馬の真実、いかがでしたでしょうか。

  • 風呂嫌いで不潔だった ― 命を守るための選択
  • 日本初の新婚旅行は逃亡と療養 ― それでも人生を楽しんだ
  • 明治時代にはほぼ無名だった ― 小説が作った伝説
  • 剣の達人で免許皆伝 ― しかし銃を選んだ合理主義者
  • 暗殺の真犯人は今も不明 ― 歴史最大のミステリー
  • 手紙魔で恋愛上手 ― 人間臭い一面

坂本龍馬は、完璧なヒーローではありませんでした。

不潔で、命を狙われ、逃亡し、明治を見ることなく死んだ。しかし、その短い人生で、日本を大きく変えました。

薩長同盟、大政奉還、船中八策――33年という短い人生で、これだけの功績を残したのです。

龍馬が生きたのは、わずか33年。でも、その影響は今も続いています。

「人生は短い。だからこそ、やりたいことをやろう」

龍馬の生き方は、現代を生きる私たちにも響くものがあります。

教科書には載らなかった真実の龍馬。不潔で、逃亡者で、謎に包まれた死――それでも、彼は確かに日本の歴史を変えました。

あなたは、どの龍馬の姿に心を動かされましたか?

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