――「最強の武将」の裏側にあった、人間らしさ――
はじめに
「風林火山」の旗印を掲げ、
戦国最強と称された騎馬軍団を率いた武田信玄。
織田信長や徳川家康ですら強く警戒した
“甲斐の虎”というイメージは、
教科書や一般的な歴史像の中では、
ほぼ揺らぐことがありません。
しかし、史料を細かく見ていくと、
そこには驚くほど人間味にあふれた姿が残されています。
今回は、
武勇や戦略ではなく、
私生活や感情の痕跡から見えてくる
「武田信玄の意外な素顔」を三つの視点で整理します。
1.異常なまでにこだわった「トイレ」という空間
武田信玄には、
戦場以上に強い関心を払っていた場所がありました。
それが、
**厠(かわや/トイレ)**です。
信玄の居館には、
当時としては異例とも言える、
広さ六畳ほどの厠が設けられていたと伝えられています。
しかも単なる排泄の場ではありません。
- 常に水が流れる構造
- 床下で香を焚き、臭いを抑える工夫
- 書状を書けるほどの落ち着いた空間
信玄はこの場所を、
排泄の神を祀る「神聖な場」と捉え、
思索や書簡作成の場として使っていたとされます。
家臣たちが困惑しても、
信玄は
「ここが最も心が静まる」
として譲らなかったと伝えられています。
最強の武将が、
最も思考を深めた場所がトイレだった。
この事実だけでも、
信玄の人物像は一気に立体的になります。
2.恋愛に関しては、驚くほど不器用だった
戦では冷徹な判断を下した信玄ですが、
恋愛に関しては、
まったく別の顔を見せています。
現在も史料として残るのが、
信玄自身による浮気の弁明文です。
宛先は、
家臣である春日源助。
内容は非常に率直で、
要点をまとめると次のようなものです。
- 声をかけたのは事実
- しかし体調不良を理由に断られた
- 指一本触れていない
- もし嘘なら神罰を受けてもよい
天下を狙う戦国大名が、
恋人に誤解されることを恐れ、
ここまで必死に弁明している。
その姿は、
英雄というより、
きわめて人間的です。
このような一面があったからこそ、
家臣たちは
「この人は自分たちと同じ人間だ」
と感じ、強く結束したのかもしれません。
3.最期は静かに、そして深く人を動かした
信玄の最期は、
合戦による壮絶な死ではありません。
病によって倒れた、
いわば静かな終わりでした。
死因については諸説ありますが、
病死であった可能性が高いとされています。
注目すべきは、
その訃報を聞いた
上杉謙信の反応です。
宿敵であった謙信は、
信玄の死を知ると、
箸を落として号泣したと伝えられています。
敵対関係にありながら、
互いを最も理解していた存在。
まさに
「英雄、英雄を知る」
という関係だったのでしょう。
さらに信玄は、
死の間際に
「自分の死を三年間伏せよ」
という遺言を残しています。
それは、
自らの死がもたらす混乱から
武田家を守るための、
最後の決断でした。
おわりに
武田信玄は、
最強の武将である以前に、
悩み、迷い、感情を抱えた一人の人間でした。
- トイレで思索し
- 恋愛で言い訳を書き
- 最期まで家族と家臣を案じた
こうした姿を知ると、
雲の上の存在だった名将が、
少しだけ身近に感じられるのではないでしょうか。
「最強」という言葉の裏側にあった、
人間・武田信玄。
それもまた、
史料の中に確かに残されている事実です。